LAMY specs vol.4

一つとして同じものはない 世の中には見かけと同じものは一つもない、と古代ギリシャの哲学者プラトンは悟っていました。そして、古代ローマ皇帝マルクス・ アウレリウス・アントニヌスは、あるがままの状態を維持するものはない、と語りました。


シンプルでありながら基本的なこの二つの言葉は、古代と同様に 21 世紀の現在にも当てはまります。それらは、与えられた形は(少 なくとも)二つの視点からとらえる価値がある、そして、あらゆるものの本質には絶えず変化が起きている、ということを教えてくれ ます。最新版のLAMY specsも変化について取り上げ、新たな視点を比喩的、および具体的に示しています。今回のインタビューでは、 ラミーのマネージングディレクターであるBeate OblauとプロダクトマネージャーであるMarco Achenbachが、ブランド・アイデン ティティ、イノベーション、そして現状の維持と更新との間にある葛藤について語ります。


さらに、今日ではこれまでとは全く異なる視点で再解釈されているように思われる「ラグジュアリー」という言葉についてもふれます。 実際に、ラグジュアリーとは何でしょうか?これまではどういう意味を持ち、現在はどのように解釈されているのでしょうか?デザインジャーナリストの Gerrit Terstiege は、自著エッセイ「Leiser Luxus(静かなるラグジュアリー)」の 8 ページ目で これらの疑問に ついて考察しています。彼は、ラグジュアリーの意義の問題は、依然として視点の問題である、としています。ニューヨークにあるラミー のコンセプトストアのためにクリストフ・ニーマンがデザインしたアナモルフィックな壁画にも、同じことがいえます。その壁画を正 確に見るには、視点を変える以外に方法がありません。なぜでしょうか?14 ページを開いてご自分の目で確かめてください。目を開 けたまま、注意をそらさないでください。なぜなら、見かけのまま変わらないものは何一つないからです。


<Beate OblauとMarco Achenbachへのインタビュー> 

50 余年にもわたってアイデンティティを確立してきたラミーのようなブランドは、今後どのようにすれば発展し続けられるでしょうか?どれくらい変われるのでしょうか、そしてその変化をどの程度許容できるでしょうか?イノベーション、価値観、変化の可能性に ついて語ります。


「単なるペンではない」―これは、ラミーがブランド・ポジショニングの見直しを行い、ブランドを発展させるため、この数年間使用 してきたスローガンです。これはどのように時を経て使われ続けてきたのでしょうか?

Beate Oblau(以下BO):「単なるペンではない」 というスローガンは、2016 年に掲げられたもので、元来は私たちがそれまでかなり長い間経験してきた、そして今なお続いている変 化のプロセスを示していました。私たちの暮らす現在では、手書きは15~20年前とは異なる役割を担っています。ブランドとしての ラミーにとって、この変化は、私たちも継続的に発展し、時代に対応するために私たち自身の視点を変えることを求めるものです。


それは具体的にはどういうことでしょうか?

BO:ラミーにとって、これは、今日の筆記具は単なる筆記具以上のものとなる可能性が あり、おそらくそうでなくてはならない、ということを意味します。デジタルテクノロジーによって筆記がより一層効率化され、私た ちの生活の多くの領域で手書きの機会が失われています。例えば、多くの人は今では休日に葉書を書いて送ることはなく、代わりにスマートフォンでメッセージを送信します。それは、筆記具メーカーとしての私たちにとっては脅威でしょうか?私は、脅威を感じる理由などないと思います。そして私たちの発展がこのことを裏付けています。デジタル化によって手書きはまれになったかもしれません が、だからこそ、その価値が向上しているのです。また、それは、筆記具が現在全く新しいステータスを持つことも意味します。筆記具は、 私たちの生活の少なくとも一部では、実用的な物からラグジュアリーな物へと姿を変えています。あるいは、私たちの個性やライフス タイルの表現を引き立てる一種のアクセサリーにもなっています。


Marco Achenbach(以下 MA):実際に、タブレットやスマートフォンがどこにでもあるにもかかわらず、筆記具に対する需要は決して低下していません。たとえそうなっているとしても、実際に手書きに関しては ラミーの品質、高級な素材と卓越したデザインの 認知度は向上しています。それが高級市場向けのラミーの製品群を強化するという決断の背後にある主な理由でした。


LAMY specs vol.4 日本語訳


* 一部日本語訳を伴わないテキストがございます。何卒ご了承ください。

* 本文は本誌が発行された2019年6月時点の内容に基づきます。既に終了しているイベント等もございますのでご注意ください。

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ラグジュアリーセグメントに参入するのですか?それはどのような製品ですか?

MA:まず、ラグジュアリーセグメントではより低コストのセグメントでは通常使用できない素材やプロセスを使用することができます。これによって全く新しいクリエイティブな可能性を持つ世界が切り開かれます。例えば今年、私たちは LAMY imporium Lx(ラミー インポリウム ルクス)および LAMY studio Lx all black(ラミー ステュディオ ルクス オールブラック)という形で、新たな、とりわけ高品質な2つの確立されたモデルを発売します。


これらの特別なモデルをこのような卓越したものにしている特徴は何ですか?

MA:それは主に、標準製品とは一線を画す高品質の仕 上げです。LAMY studio Lx all black の輝きは全て PVD コーティングによって実現します。このコーティングにより、耐久性が極め て高くなり、また他にはない深みのある色が生まれています。LAMY imporium Lx では、ハウジングのパーツはまず純銀でコーティングされた後、透明な浸漬タイプのラッカーでメッキ加工されます。更に、プラチナまたはローズゴールドでコーティングされています。 (※注 ローズゴールドは日本未発売)


製品名の末尾のLx(ルクス)について詳しくお話しいただけますか?

BO:Lxは「luxur(y ラグジュアリー)」、「luxurious(ラグジュリアス)」 の略ですが、ライフスタイル(L)と、特別な何か(x)を目指す努力を表す製品の証しでもあります。Lx の特徴は、現在は例えば高 価なメタルコーティングなどの特に高品質な仕上げを施し、標準版からアップグレードされた製品のみにみられます。私たちは、将来 的にはこの原則を他のモデルシリーズにも拡大していく予定です。
ラミーのデザイン哲学は、基本的には機能性と控えめな表現をベースとしています。これらはラグジュアリーとはほとんど関係がない 特徴ですが…

MA:ラミーの製品ポートフォリオには常に、非常に高品質な筆記具があります。例えば、LAMY2000(ラミー 2000)、 LAMY dialog 3(ラミー ダイアログ 3)、LAMY scala(ラミー スカラ)、あるいは LAMY imporium(ラミー インポリウム)といった モデルです。しかし、私たちの製品の大多数が非常に庶民的なアプローチを示しているのは確かです。ラミーは、機能的で耐久性に優れ、 多くの場合、大半の人にとって手頃でもある、卓越したデザインの代名詞です。Lx シリーズは特別版ですが、それゆえこれらの特徴 は基本的には Lx シリーズにも変わらず正確に備えられます。それらは私たちの中核的なポートフォリオを置き換えるのではなく、単 に追加されるのです。


BO:そして、これらの特徴は私たちのデザイン哲学に非常にうまく適合する形で備えられます。ラミーのデザインがただ機能的で厳 格なだけである、あるいは合理的なだけであると主張するのは見当違いです。実際、私たちの社内デザインガイドラインには、製品に は感情に訴えるような感覚的な要素を取り入れなければならない、ということが必ず示されています。

MA:基本的な形状は常に、機 能性と、黄金分割や対称性といった昔ながらのデザイン原則に基づいています。しかし、それに加えて、私たちが「ダイナミックイノベー ション」と呼ぶものを取り入れる余地が必ずあります。これは、卓越した素材や色彩が活きる部分であり、LAMY studio(ラミー ステュ ディオ)のプロペラ型の曲線を描いたクリップのような特別なディテールが活きる部分でもあります。この形式的な厳格さとイノベー ションとの相互作用こそがラミーの製品を非常に魅力的なものにしているのです。


さて、ラグジュアリーという主題に戻りましょう。ラミーの視点からは、ラグジュアリーとは何を意味しますか?

BO:ラグジュアリー には多くの異なる面があり、それらは必ずしもある物の物的価値に関係するとは限りません。一目では分からない非常に巧みな技術的 解決策でさえ、書き手に純粋なラグジュアリー感を与える可能性があります。ここで、例えばポケットタイプのボールペンである LAMY pico(ラミーピコ)について考えてみましょう。この小さなペンは、見た目はかなり控えめですが、実際には非常に洗練された 技術を特徴としており、とても使い心地の良い製品です。このようなディテールがまさに私たちから見たラグジュアリーの一つの形で す。しかし、ラグジュアリーとは、仕上がり、素材、そして手触りをさすものでもあります。これらは全て、製品の使い心地を定め、 その製品を特別なものにするディテールなのです。それこそがラグジュアリーの意味するところです。私たちは、ラミーブランドの DNA として常に受け継がれてきたこのような品質が、今改めてますます重要になっていることを認識しています。これは、私たちの 生活がテクノロジーによって大きく変化した結果でもあるかもしれません。テクノロジーは私たちの生活のあらゆる領域にいくつかの 重大な進歩をもたらしましたが、一方で私たちの人間らしさを表すものから私たちを幾分遠ざけました。このため、私たちは、私たち を現実の世界に戻し、私たちの感覚に訴えるものを求めて日々過ごしているのです。筆記具のように、手触りの良い美しい物は、明らかにこのグループに属しています。


10 年先、20 年先のことを考えてみましょう。手書きにはどのような発展がみられるでしょうか?

MA:批評家たちがこれまで何十年もの間、手書きが消滅すると予測していたことを考えると、私は将来を考える際にとても安心した気持ちになります。結局、その後何 が起きたでしょう?何も起きませんでした。手書きは現在もなお貴重な手段であり、そのことを改めて発見する人もいます。手書きの 欠点は真の強みでもあるため、スピードに欠けるということは、最近ではまれなラグジュアリーなのです。手書きには瞑想的な要素が あります。


BO:しかし手書きには、例えば情報を学び加工する際には、非常に明白な利点もあります。数年前、プリンストン大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校がある研究を実施しました。その研究では、学生は実際に、講義において手書きでノートをとる場合のほうが ラップトップ PC に入力する場合より効率的に学習できることが示されました。なぜでしょうか?物事をゆっくりと進めることで、講 義で聴いた内容を要約して言い換えることを余儀なくされるためです。これは、手書きの場合のほうが聴講中により深く集中して内容 に対処しなければならないことを意味しています。しかし、PC への入力では、多くの場合、話されていることに真剣に耳を傾けず、 一言一句をそのまま書き留めたい衝動にかられます。また、私たちの視覚的な記憶は動作の記憶につながっています。ですから、私たちは、書く、というような動きと結び付けた場合のほうが物事をよく記憶しています。また、そのため、子どもには手書きで学習する ことが非常に重要であり、このことは私たちが特にドイツ語圏で強く推進していることです。デジタル化はさておき、私たちの社会は、 無分別にも手書きという貴重な文化財を自ら放棄しようとしています。


ラミーが今後重点を置こうとしているイノベーションの対象または領域はありますか?

MA:私たちは万年筆に惚れ込んでおり、その 魅力と書き手に与えるインスピレーションを今なお深く信じています。それが原動力となり、私たちは卓越したデザインの実現に継続的に取り組んでいます。また、先にお話ししたように、ラミーにはラグジュアリーセグメントでの大きな可能性があると考えています。 しかし、私たちは、アナログな手書きに加え、デジタルなライティングのもつ可能性にも注目しています。


それについて詳しくお話しいただけますか?

MA:ラミーがこのラグジュアリーという主題を詳しく観察し、これまでと変わらず最良の解決策を模索しているというだけのことです。
静かなるラグジュアリー。新たな価値観と簡潔美について。 興味深い疑問:今日のラグジュアリーとは?私たちと価値ある物、上質な物との関係はどのように変化していますか?それは依然として私たちの社会的地位を目に見える形で表現するようなものでしょうか?
このような現象が遠い昔からどの文化においても絶えず存在することは疑いようがなく、現在も完全に消失する気配すらありません。 文化博物館のガラスのキャビネットは、かつての所有者の地位と重要性を明確に示す見事な芸術品で埋め尽くされています。
しかし、私たちが毎日使用し、私たちを特徴づけている物たちに対する姿勢は、ますます多様化し、意識的になっています。長い間、 自動車は対外的に富を伝える理想的な手段でした。自動車には、自己投影の手段、つまり運転すれば一体になれる完全公開の象徴物と して使用された長い歴史があります。ドイツ系アメリカ人の美術史家であるエルヴィン・パノフスキーはかつて、有名なロールス・ロイスのラジエーターグリルについて調べ、その古代神殿との類似性に注目しました。ジョン・レノンでさえも、その雰囲気の虜になり、 1966 年にロールス・ロイスのファントム V ツーリングを購入しました。そして結局、すぐさまサーカス・ワゴンのように明るい黄色 で塗り、花柄や渦巻模様を描いたのです。これは、ジョン・レノンがいたずら心で最高級のステータスシンボルをばかげた姿に変えた、 皮肉な表現行為です。
では今日では?より若い、裕福な世代は特に、自動車に背を向け、カーシェアリングサービスの利用や、優れたレーシングバイクやマ ウンテインバイクへの投資を好むことが増えています。高級腕時計などの他の伝統的なステータスシンボルも、かつての人気が大きく 衰えています。高級腕時計を購入する余裕が確実にある人の多くは、いつでもどこでも時間を守る必要はない、これこそが真のラグジュ アリーの定義である、とでもいうように、腕時計を全く身に着けません。
控えめな表現と簡潔さも、現代建築ではますます顕著な特徴となっています。デザインは多くの場合、形式的な厳格さとあわせて、慎重な材料の選択、外からは認識さえされないかもしれないスマートな空間の概念、エネルギー効率の良い設備、およびネットワーク化 されたシステムを必要とします。歴史的な古い建造物から取り入れられた、豪華でやぼったい、柱や様式は、その後長い間過去に葬ら れています。安藤忠雄、ピーター・ズントー、アルノ・ブランドルーバーといった著名な優れた国際的建築家たちは、この点において、 富を見せびらかす伝統や行為を足場とせず、革新的なアプローチを取り入れた地味な建築用語で新たな基準を定めています。
そして、家具や消費財のデザインでさえ、新たな簡潔性を特徴とするようになっています。それは遅くともイギリス人のジャスパー・ モリソンと彼の日本人の仲間である深澤直人が、普通とはかけ離れた形作りを競うのではなく、日常生活の多くの領域でみられる典型 的なプロダクトデザインに基づいた「普通を超えた普通」のデザインを生み出して以来のことです。不意に、モリソンの手がけたイス は再びイスのように見え、テーブルはテーブルらしく見えるのです!材料の組合せ、色彩、およびディテールに慎重に適合し、技術的 成果と形式的なイノベーションを確実に取り入れたこの新たな簡潔性は、日用品に新たな美しさ、これまでかなり長い間欠けていたよ うな美しさを生み出しています。
ニューヨークに住むグラフィックデザイナーのステファン・サグマイスターは最近、専門家であるパートナーのジェシカ・ウォルシュ
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と共同で、芸術、デザイン、および建築における美に関する広範な研究について発表しました。書籍と展示会の形で発表されたこの研究は、一つの声明に匹敵します。「私たちは、美そのものが一つの機能であると考えています」というのが彼らの意見です。デザイナー がそのように話すことはこれまで長い間ありませんでした。長い間、偏ったものや普通ではないものは、明確な違いを示して来ました。 より偏っていて普通ではないほど良いとされていたのです!ラグジュアリーは、一目見れば分かるものとされ、美と機能性は二の次と されていました。そしてこの点を考慮すると、必然的に次のような疑問が浮かびます。最新のトレンドを取り入れただけのデザインは どのくらい耐久性があるのでしょう?そして、社会的問題には本当に事欠かない現在、富そのものを見せびらかすことはどれほど不調 法でしょう? 一方、「静かなるラグジュアリー」は、全く異なる姿勢であるといえるでしょう。それは、製品の価値を知り、ちらりと見た程度では 分からない品質や技巧を認識する姿勢です。おそらく、私たちが長年持ち歩いているアイテムが実際にどれほど価値のあるものとなり 得るかを示す時が来ているのです。これは、私たちの個性の表現にもなり得ますが、それは大げさなしぐさや印象による一瞬だけのものではありません。
筆記具に関しては、ほんの一瞬でできるデジタルコミュニケーションの時代に過小評価されるべきではない別の面があることは疑問の 余地がありません。それは、手書きは、手紙を書く場合であれ、日記をつける場合であれ、自分自身や他の人のために時間をかけるこ とを意味する、ということです。つまり、あっと驚く可能性を秘めてペースをゆるめたり立ち止まったりすることを意味します。立ち 止まって自分自身を振り返り、自分自身の個性を文字で表現することは、間違いなく貴重なことです。あるいは、プラハの文化哲学者 であるヴィレム・フルッサーの言葉をかりると、「書くことは言葉の魔力に身を任せること」なのです。 そしてまさに世の中がかつて ないスピードと騒々しさを持ちつつある時代には、これこそが新たな、静かな形のラグジュアリーとなり得るのです。
万年筆:個性の表現 万年筆ほど個性を表現できる筆記具は他にありません。その理由はペン先にあります。書き手の書き方に馴染むペン先は、独自の個性 的な手書きを生み出します。
万年筆で書くということは、舞踏の名手が紙の上で振付けをするようなものです。その仕上がりには、書き手の手書きのイメージ、文 字が書かれるスピードや雰囲気そのものが表れます。
「万年筆は書き手にぴったりと馴染む唯一の筆記体系です」と、ラミーの製造部門責任者であるマネージングディレクターの Peter Utsch は語ります。ペン先は、その弾力性のおかげで、筆圧に対応することができます。ペン先を強く押し付けすぎると、書き心地が 悪くなり、手書きが台無しになります。反対に、筆圧が十分でなければ、手書きの文字は無表情で断続的なものになります。そこで、 筆圧や書き方、書くスピードを変えると、万年筆はすぐに反応し、明確で特徴的な手書きが生み出されます。つまり、万年筆で文字を 書くと自動的にスラスラと滑らかにペン先が動くようになり、それによって手書きの力が最大限に引き出される、ということです。
このための主な基準は、書き手とペン先が完璧にマッチしていることです。これにはさまざまな可変要素、特にペン先の厚みと研磨が 大きな役割を果たしています。「書き手はみな、それぞれ自分の書き方に最適なペン先を使用すべきです。そのため、私たちは常にラミー の全ての万年筆に合うさまざまなペン先を取り揃えており、その全てが取り換え可能なものです」とUtschは語ります。極細字タイプ から太字タイプまで、ストレート型から丸型、角度付きのものまで、幅広いペン先が取り揃えられています。「また、左利き専用のペ ン先やビギナー用のペン先もあります」。経験則から、手書きの文字が小さく詰まっているほどペン先は細いものを使用すべきです。「ラミーの EF および F タイプのペン先がアジアでこれほど人気があるのには、相応な理由があります。これらのペン先は、例えば中国や日本で使用される文字にぴったりなのです」
材質も、ペン先の筆記品質に大きな役割を果たしています。例えば、金製のペン先は極めて弾性が高いため、見事な書き心地が得られ ます。「金製のペン先は一般に書き手の筆圧に応じて曲がります」とUtschは語ります。そのため、ペン先をページ上でエレガントに、 スラスラと楽に動かすことができます。
「金製のペン先は非常に繊細なため、ラミーではその製造時に多くの手作業が発生します」と Utsch は説明します。これは特に、直感 を大いに要する研磨作業についていえることです。金製のペン先については、手書きでの「書き込み」作業も行われます。「ここで何 か間違いがあれば、ペン先は再仕上げされるか不合格品となります」。研磨とルーペを用いた最終検査は、熟練した専門スタッフによって一つ一つのペン先について行われます。ペン先の特殊な外観を実現するため、広範にわたる仕上げが行われます。「最高品質の表面 仕上げに現在利用可能なものの一つは PVD です。これは、例えば LAMY Lx シリーズのペン先に使用されています」。下地材料には、 その性質を変えずに、非常に薄いながらも極めて強力なコーティングが施されています。「PVDコーティングは傷防止に優れ、変色せず、 表面の性質を保ち、素晴らしい色の深みを生み出します」
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カリグラフィー用のペン先も、特にレタリングのトレンドによって、ますます重要になってきています、とUtschは語ります。このような文字では太い線と極めて細い線の両方が描かれ、細い上向きの筆遣いと太い下向きの筆遣いとの間に際立つ違いが生まれます。「私たちは、新たなペン先の開発において、この分野をじっくりと観察しているところです。試作品の初回テストは既に完了しています。 満足できる結果が得られ次第、市場に売り出す予定です」
控えめな、ほぼモノクロのインテリアで統一されたニューヨークのラミーのコンセプトストアは、ラミーのデザインの世界の魅力的な 背景を生み出しているだけではありません。ある種のホワイト・キューブ、すなわちクリエイティブなプロセスが発生し実現する可能 性のある場としても機能しています。
「ラミーは既に世界中で 180 を超えるコンセプトストアをオープンしています。それでもなお、このニューヨークのストアは私たちにとって非常に特別な節目となるものです」と、インターナショナルマーケティング部門長であるIsabel Bohnyはオープニングセレモニー の場で語りました。「それは、ラミーが米国で全国展開するという長期目標に向けた記念すべき最初の一歩なのです」
このストアは、ブランドを象徴し人々に体験してもらえるようデザインされているだけでなく、インスピレーション、創造性、そして コラボレーションの場を作ることも目的としています。「ソーホーは、その幅広い、活発なアートシーンから、このアイデアに着手す るには完璧な場所のように思えます。ここでは時代精神をほとんど手に取るように感じることができるため、ブランドが新たな刺激を 得たり作り出したりするには最適です」
ラミーは、2018年11月にこのアイデアを中心とする最初のプロジェクトを発表しました。それは、クリストフ・ニーマンがストアの 側面に施した壁画です。その原案は、ストアのオープニングイベントで、顧客やパートナー、そして出版業界、芸術界、デザイン界の 多くの関係者を含め、国内外から招かれた約100人のゲストたちに公開されました。
Mike Meiré(ラミーのアート&ブランドディレクター)と Nicholas Blechman(The New Yorker のクリエイティブディレクター)と のアーティスト・トークの中で、クリストフ・ニーマンはラミーとのコラボレーションや彼がストアのために手がけた壁画について語 りました。「決して見る側を過小評価するという間違いを犯してはいけません」とニーマンは語りました。最近では、見る側の認識や 評価が高まっている一方で、かつてないほど要求も厳しくなっています。ソーシャルメディアの影響は、見る側をもはや傍観者ではなく対話相手と考えるべきであることを意味しています。「境界を押し進め、どこまで進めるかを見るのがコツです」
壁画を正面から見ると、右の角にアーティストが描かれています。小柄で、つま先立ちで腕を上に伸ばしたこのアーティストは、彼の堂々 たる作品に最後の仕上げをしようとしているようにみえます。堂々たる、というのは、壁画のモチーフが彼自身に比べて不釣り合いな ほど大きくみえるためです。実際に、モチーフのアーティストはペンを手にしてテーブルの上に前かがみになっていますが、どこか妙 に歪んで描かれています。この壁画を通りの向こう側から見ると、その歪みは消え、座っているアーティストが小さくなるようにみえ ます。同時に、つま先立ちの小柄な男性は後退し、薄い1本の線、アーティストの線が見えるだけになります。
この壁画が引き起こす目の錯覚は、射影歪みによるもので、アナモルフォーシスといわれるものです。アナモルフォーシスとは、ギリシャ 語で再びを意味する「アナ」と成形を意味する「モルフォーシス」に由来しています。一方、この壁画の内容は、逆説として説明する のが一番分かりやすいでしょう。マウリッツ・エッシャーの有名なリトグラフであり、2つの手が互いを描き合う「描く手」と同様に、 クリストフ・ニーマンの壁画も、ニワトリと卵に関する「どちらが先か」というよく知られた疑問を投げかけています。

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